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心の中のブラインド・スポット 善良な人々に潜む非意識のバイアス[北大路書房]

心の中のブラインド・スポット 善良な人々に潜む非意識のバイアス
(著)M.R.バナージ,A.G.グリーンワルド (訳)北村英哉,小林知博 [北大路書房]

この本は、人にはその存在を意識できず自動的に適用されてしまうバイアスがある事をIATというテストを通じて明らかにし、その存在の問題点を指摘し、問題の解決を図ろうという本である。
IATには日本語版も存在するが、アクセスすると英語のページに遷移してしまう。どうもPROJECT IMPLICIT Social Attitudes→take a testの順に進んだ後、再度日本語版のページにアクセスすると日本語でテストが受けられるようだ。
基本的にこの本はとても良い本で多くの人に読んで欲しいと思うし、IATも受けてみて欲しいと思う。もっと日本人に相応しいIATもあると思うので誰か作ってくれればいいのだが。あととりあえず本家の障碍者IATの日本語版は欲しい。

以降は書評ではなくて本書の内容を自分なりに考えて授業後に教師に質問したい点を纏めたみたいなものだ。疑問に関連する情報へのポインタなど示していただけると幸いである。

1.非意識的バイアスは本当に非意識的なものなのか

著者たちは、非意識的なバイアスを本当に普通なら自覚できない隠されているもののように語っているが、それに疑問を感じる。というのは、この本の中で笑いとIATの相関が示唆されているからだ。これは非意識的なバイアスが表層にまで出現している現象だと言えると思う。
この笑いの感情に違和感を持てれば自分の中の好ましくない存在を自覚できるはずであるし、そのような人はたくさんいると思う。そういう心の底の暗くて見えない部分に焦点を当てた物語も世の中には溢れている。ただしそれはIAT試験を試しに受けてみる層ではないかもしれない。結果は自明だから。実際、私の場合、IATの試験結果で衝撃を受けるほど予想から大きく外れるものはなかった。隠すものでもないのでテスト結果については最後に示す。

2.著者たちの持つ非意識的バイアス

著者たちは、IATによって自身の人種バイアスを知った時の衝撃や嫌悪感を語り、それを個人として克服すべきもの個人として完全に根絶すべきもの語っている。
私は、ここから著者たちが2つの非意識的バイアスに支配されているように見える。
1つめは、”好ましくない非意識的なバイアス=悪”というバイアス。
2つめは、”自分=善良(であらねばならない)”というバイアス。
この2つめの、”自分=善良(であらねばならない)”というバイアスは、情報化社会の中で一つの火種をはらんでいると思う。その1つとして、デマフォビアとでも呼べる現象があるのではないかと思う。福島原発の異常が報じられた時、福島型原発メルトダウンしないから大騒ぎする事態ではないという言説がツイッター上で流れているのを見た。善良で賢明な彼らは、デマの流布を恐れてそのような事をしたのだろうが、事実とは異なっていた(彼らの考えるメルトダウンではなかったかもしれないが、メルトダウンと言われる現象が起き、大きく放射性物質が漏れた事は確かである)。
上記二つのバイアスのせいなのか、作者たちのマインドバグ対策は、個人個人の改善の方に目が行きがちで、社会の方で対策を行おうという視点が乏しい。いや、社会での対策は当然で、その上で個人も改善していくべきだと思っているのかもしれない。まだ好ましくないステレオタイプ浸透装置としての社会が厳然と存在しているしその段階ではないと思うが。
個人的に考えるステレオタイプ対策は、自ら親近感を持って様々な人たちと関わり集団ではなく一人一人の人間としての資質を実感する事とむやみに集団への所属意識を求めない事である。この作者の一人は、色んな人種、色んな職業に就いている女性のスクリーンセーバーを作って見ているそうだが、なぜそんな遠回りをするのだろう。
フロイトは、人類の自己愛を壊した科学的発見として、コペルニクスの地動説、ダーウィンの進化論、そして自身の精神分析を挙げたそうだが、それから100年近く経って様々な科学的知見も増えてきたのに、まだ人間は自己の完全支配に関しての幻想が捨てきれないらしい。

3.好ましくない種類の非意識的なバイアスとは本当に悪なのか

先の項の続きになるが、普段は隠されている内なるバイアスの存在に気がついている人というのはある程度いると思う。また現代の社会では、人間に善良さを求める社会の空気が強まったからこそ、その自分も正しいと思う人間像・社会像と自分の内面の普段見えにくい場所にある好ましくないステレオタイプのギャップに気づき、苦んでいる人間というのも多くいると思う。
だから、好ましくないステレオタイプを持つ事自体は人間の本質であり悪ではないと言いたい。そして、私は、個人の中にマインドバグやそこから生じる内集団ひいきはあって良いと思う。個人のプライベートにおける有限のリソースをどのように割り振るかは個人の自由だと思うからだ。
もちろんそれがパブリックに影響を与えるのは良くない。そこで平等主義を気取りたい人間の責任ある態度というのは、マインドバグの存在をどう具体的に自覚するかその上でどういう時にその存在を思いだしどう振る舞うべきなのかを学習する事だと思う。そして、パブリックの場においては、意思・決定時にマインドバグができるだけ介入しないシステムを作った上で、それが存在しないかを監視しそれを指摘するようなシステムを導入する方が適切だと思う。

4.許容できるマインドバグの線引きとは(それはバイアスの影響なしに定義できるのか)

社会で対策すべきステレオタイプとその必要の無いステレオタイプの線引きについて考えてみるのだが。これは難しくてわからない。
私は、女性差別者と言われるかもしれないが、女性が数学が苦手というステレオタイプが即座に悪だとは思わない。それが問題になるのは、数学好きで適性もある女性の可能性の芽を摘む場合だけであるからだ(そしてその才能を見極め芽を摘まないのは養育者~保育者~教師の役目である。それらの人たちが個々の子供を偏見のない目で見られればそれで十分なのではないだろうか)。
女性に平等に数学の能力があるとして、女性の多くは本当にその能力を伸ばし、生かしたいと思うのだろうか。言い換えれば、女性は数学が苦手というステレオタイプは数学に興味の無い女性に言い訳を用意し、別の興味ある分野により力を注ぐきっかけとして働く可能性もあるのではないだろうか。
数学を好む比率もまた男女等しいというならそれは改善すべきステレオタイプだろう。しかしそうでないなら、本当にそれは改善すべきステレオタイプなのだろうか(また裏返しとしての女性は言語に強いというステレオタイプも存在している)。例えば、自閉症の発症数に性差があるという事実とその症例からいって、知的能力自体は男女等しくても、それを支える土台や興味の方向性なんかは異なる気もするのだが、そういう事はあり得ないのだろうか。
ともかく現時点では著者たちの主張するような能力の等しさだけを問題にしてステレオタイプに善悪の線を引く事は必ずしも正しい事では無いと思う。性差も考えた上でもっとポジティブなステレオタイプがあるならそちらを歓迎したいし、男女の興味に性差がないとなれば考えを改める事にやぶさかではない。

5.幼児教育とステレオタイプ その1

この本を読み、幼児期に不要なステレオタイプを獲得するのを避ける必要があるように感じた。
乳幼児はどの段階でどのようなステレオタイプをどの程度の強度で獲得するのだろうか。そのステレオタイプが今の心的な生活や後々の人生にとって有益または害なのだろうか。幼児教育の場以外で不要なステレオタイプな情報が流されている現在の社会でどのような幼児教育環境を用意するのが適切なのだろうか。
もしステレオタイプを避けようとするなら、保育者の多様性の確保、幼児の持つステレオタイプに気づきそれをどうするか(そのままにするのか、その場で反証の例を出すのか、日常の中でステレオタイプと異なる事例を用意するのか等々)考えられる事などが考えられると思う。ただ多様性と言っても理屈が先行したり大人が対立したり子供を混乱させてしまったら元も子もないだろう。

6.幼児教育とステレオタイプ その2

子供の興味について、男の子は機械やブロックを好み、女の子はママゴトを好むというようなステレオタイプがあると思う。実際、男の子はブロックで乗り物を作るし、女の子はブロックで家を作るというような事も多いだろう。これはどこまでが社会の反映なんだろうか。女の子のママゴトと女性が家事をしている事とは関係があると思う。では、お人形さんやより年少の子の世話を好むのにも関係しているんだろうか。男の子の方がブロック遊びをするのには、何かしらの社会のステレオタイプが反映されているのだろうか。大人が男の子にはブロックを与えるからだろうか。
幼児教育に関するジェンダーステレオタイプの議論を見て常々思うのは、社会の男女の役割を本当に子供に押しつけているのだろうかと言う事だ。そんなお仕着せの遊びが長続きするとは思えないし、子供は自分の興味に従って遊んでいるのだと思う。では、何を通して子供にジェンダーステレオタイプが浸透していくのか。私は、子供が愛着を示している、子供の周囲にいる大人の日常生活と「大人が子供のジェンダーによって使い分ける褒め言葉」(男の子には「かっこいい」、女の子には「かわいい」)によって浸透するのではないかと思う。
では、その使い分けは悪なのか。そう言い切る根拠は私にはない。これは先に書いた女性=数学が苦手よりなお根深いと思う。話を単純化すると、社会では通常角張った物の形を褒める時にかっこいいといい、丸いものをかわいいと表すると思う。ある男の子が社会でかっこいいと言われている角張った物をより好むなら、その子自身もかわいいよりかっこいいという褒め言葉に喜ぶだろう。さらに言えば大人の男の体も角張っている。それは自身のより良い大人像に繋がる事もあるのではないだろうか(女の子の場合はその逆)。
もちろん個々の子供の個性を見極め、一人一人に対して適切な褒め言葉を使い、可能性の芽を摘まずに伸ばしていくのは、養育者や保育者の努めだと思っている。それは前提として環境中のジェンダーステレオタイプにどれだけ敏感になるのかという話である。

7.アスペルガー症候群の持つステレオタイプ

アスペルガー症候群の人は、そうではない人と同じ社会の中で暮らしながら異なる文化体系を獲得していると思う。宇宙人と評されたりするのはその証拠だろう。
偏見かもしれないが、彼らは主観的で他者への共感性が薄く合理的論理的なのだと理解している。身近な環境や社会が人に浸透してステレオタイプ→マインドバグを生み、彼らもその支配から逃れられないとしても、その個性からすれば多数派とは異なるステレオタイプが生じていてもおかしくないのではないだろうか。
私は、彼らのステレオタイプやマインドバグや多数派のステレオタイプとの差異から社会や文化の別の側面や課題が読み取れる可能性はあると思う。

8.私のIATの結果とその感想

人種IATとセクシャリティIATは、3度目くらいの結果だと思う。それ以外は最初のテストの結果である。

人種IAT ”白人の人たちよりも、黒人の人たちに対する中程度の自動的な選好”
これが3度目くらいの結果だが、一番黒人寄りに出ている。平均としては、もう1段階低い選好である。
どちらかと言えば白人中心主義の方に影響を受けているのだろうと想像したが、結果は異なった。大ざっぱに言えば、私には好きな白人俳優・女優が何人かいる。それよりは少ないけれどより強い好印象を黒人スポーツ選手に抱いている。その強い印象の方がテスト結果に出たのだろうか。
私が最初にやったのは本に付属している人種IATで、これには子供の白人、黒人の顔が使用されている。このテストの結果は黒人へのわずかな選好だったのだが、人種よりも子供に対する好意に引きずられているのを感じた。試験を受けている時、子供と悪い意味の単語を同じ方に分類するのに手間取っているのがわかった。

セクシャリティIAT "異性愛者よりも同性愛者に対する中程度の自動的な選好"
これは完全に予想外の結果だった。正直に書くと、私は男性同士が性行為を行うような動画を見る事には嫌悪感を覚える。女性同士の物なら別に普通に見られるが、見るのはもっぱらヘテロセクシャルの動画ばかりである。だから、同性愛者を特に差別するようなつもりもないのだが、ヘテロセクシャルへの選好を示すと思っていた。でも別に受け入れられない結果でもない。ちなみにテストは男性同士の同性愛の記号ばかりだったと思う。

ジェンダーIAT "男性と科学、ならびに女性と人文学に対する強い連合"
自覚している通りの結果だった。想像していたから引きずられてとかそんな事はない。数回受けただけでそんな事ができるようなテストではない。ただ女性ばかりの職場で働いているし、女性を尊敬している事を付け加えておく。私にとって女性の働く姿も女性上司の下で働くのも当たり前の事である。この職業を選ぶのに女性の下で働く事という事実で悩んだ事は一切無いし、その事に抵抗を覚えた事はない。

国家IAT "米国よりも日本に対する強い自動的な選好"
自覚している通りの結果だった。私はリベラル寄りなので政策によっては売国奴呼ばわりされる事もあるだろうが、結果はこの通り。中国や韓国と日本の選好?その2国にアメリカ以上の好感度なんて無いと思っているが、確かにまあやってみなければわからない。

障碍者IAT "a slight automatic preference for Abled Persons compared to Disabled Persons"
自覚している通りの結果だった。米国人の差別に関するテーマが人種なら、私自身のテーマは障碍者だと思っているし、この問題が一番複雑さを内包していると感じている。社会の表面に出ているものからしてゴチャゴチャしている。だから、この本で障碍者差別についての言及があまりない事は意外だった。